今回は、「男と女、どちらが高等?」の続編です。前回の最後は、「⑨そして受精卵が作られ、硬い殻に包まれた受精卵は、低温、凍結、乾燥等に耐え次の春まで生き延びる。やがてアリマキ達が孵化し新しい命が開始されるが、この時新しい今年の命は全員がメス。そしてメスはメスだけで命を紡いでいく。」でした。では続きを!

①しかし、今年のメスは去年のメスと一つだけ違う事がある。それは昨年の秋、ほんの一瞬現れたオスによって、メスとメスの遺伝子が、新たに出会い、交換されているという事。出会いと交換によって何が生み出されるか。それは誰にも予想出来ない。ただ、これまでと異なる多様性が生み出される事だけは確か。

②地球が誕生したのが46億年前。そこから最初の生命が発生するまでにおよそ10億年。

③そして生命が出現してから更に10億年、この間、生命の性は単一で全てがメスだった。

④しかし、大気に酸素が増え地球環境は徐々に変化。気候や気温の変化もよりダイナミックとなり、生存には多様性と変化が求められた。メスたちはこの時初めてオスを必要とする事になったのだ。

⑤つまり、メスは(命の)太くて強い縦糸であり、オスは、その雌の系譜を時々橋渡しする細い横糸の役割を果たしているに過ぎない。

⑥生物界においては普通、メスの数が圧倒的に多く、オスはほんの少しいればよい。アリマキの様に必要な時だけ作られることもある。

⑦本来すべての生物はまずメスとして発生する。ママの遺伝子を、誰か他の娘の所へ運ぶ「使い走り」、現在、全ての男が行っている事はこういう事なのである。アリマキのオスであっても、ヒトのオスであっても。

皆さん、特に男性の皆さん、どう思われましたか?本来、すべての生物はメスで、我々男は「使い走り」だそうです。確かに生物学的な観点から見れば「使い走り」も説得力ありますね!

実は、私も以前から色んな事象から、「性の基本・本質・原点はメス」との思いは強かったのです。でも我々人は、世代の継承と言う点では「生物」から逃れられはしませんが、同時にそれだけでも有りません。例えばいわゆる精神性とか創造性とか運動性とか・・・・。そこにはどちらが「使い走り」かどうかの疑念も懸念も気配もありません。

と言う事で、長い命の歴史の中で、オスとメス、男と女、は互いに必要べくして存在してきたし、存在していると言う事でしょう。つまり、そもそも「男と女、どちらが高等?」自体が愚問だと、今、明瞭に思います。        皆様のご意見は?