今回は「日韓歴史認識問題」です。戦後70年、日韓国交正常化50年の今、正にタイムリーな話題です。と言っても持論を云々ではありません。6月22日の読売新聞文化欄記事、木村 幹氏(神戸大教授)の著書紹介「日韓歴史問題とは何か」を読んで、感じるもの、反省させられるものが有りました。                        氏の論旨は次の通りです。

人々は今日の状況をもたらした「過去」の事実については熱心に語る一方で、「現在」直面している「歴史認識問題」そのものについては、向き合おうとしていない。「過去の事実」と「それが何故大きな議論の対象になっているのか」が区別されずに議論されている。

今日の歴史問題を巡る状況が生まれたのは、第2次大戦直後ではなく、1980年代以降。つまり、我々が直面する「歴史問題」とは第2次大戦以前の「過去」の直接的産物ではなく、その後の状況により生み出されたものなのである。ではその後の状況とは何か?82年の第1次歴史教科書問題の展開と、90年代初頭における慰安婦問題の展開を分析してみると、次の3点が「日韓間の歴史認識問題に影響を与える要素」として見えてくる。

①両国における戦後世代の台頭                                          ②韓国における日本の経済的・戦略的重要性の劇的な低下                              ③韓国の民主化による市民社会の活性化

氏は、”これら要素に構造的変化が無い限りこの「歴史認識問題」は有り続ける。我々は状況を楽観せずに、一つ一つの問題に丁寧に対処し続ける必要がある”としています。

私は正直、「一体いつまでお詫びを・・」「真の歴史的事実は?」「何故過去でなく未来を」等々、「韓国の態度」に苛立ちを感じ、ややもすれば感情的になり、勢い「どちらが正しいか」的思考に陥っていました。反省です。    本当にこの問題を乗り越え様とするならば、事の正否・是非では無く、紛れもない「要素」の存在を認識し、それを咀嚼し、更にはそれを呑みこんだ上で、どうあるべきか、そして、どうするべきか、を真摯に考える必要があると痛感した次第です。

皆さんはどうお考えでしょうか・・・。